モントレー半島はアメリカゴルフの聖地です。 PART 2 ぺブルビーチ・ゴルフリンクス ”大地と海の究極の出会い”

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1枚目:PEBBLE BEACH 7th
2枚目:PEBBLE BEACH 7th(後方にカーメルビーチが広がる)
3枚目:PEBBLE BEACH GL 18th
ALL Photos by T.SHIMAZU (APRL ’99)

「今日のティータイムは15:00までフルだ。」というスターターに事情を話し、記念オリジナルグッズ満載の向かいのプロショップで100$払って2台のカートを借りたスタッフ一行3名は、コースインスペクションを兼ねてまず1番ホールからコースチェックだ。

この時ボク達はオーガスタのマスターズ観戦後、東海岸のオーランドからモントレーに入ったのだが、TPCソウグラスやディズニーワールド・パームコースなどは撮影条件が厳しく悔しい思いをしてきただけに、西海岸のこの気楽さがやっぱり嬉しい。

設計者のJ.ネビールがロングアイアンの名手だったらしく、小さくそして
POA ANNUA(通称 スズメのカタビラ)のグリーンはどうみても難しそう。時間は前後するが、昨年の全米オープンのタイガーは何故あんなに入りまくったのだろう(2位と5打差の12アンダー)。他の選手はボールがポコポコ跳ねているのに、VTRを何度見ても彼のヒットしたボールだけがライン通りに伸びている。
ストロークの技術なのか、ボールと芝種の相性なのか、パターフェイスとボールのマッチングなのか?
このグリーンを眺めていたら思わずタイガーにインタビューしてみたくなった。
でも彼はきっと微笑んでこう答えるだろう。
「あの日はたまたま神様が僕を祝福したかったんだよ」って。

PEBBLE BEACH GOLF LINKS(18H 6,799Y P72 C/R75.0)

1908年24才で初めてこの地を訪れた、若き事業家SAMUEL MORSE(1969年没)は
「大地と海の究極の出会い」(THE GREATIST MEETING OF LAND AND SEA)モントレー半島の美しさに震感、デルモンテの森に世界的リゾート建設の夢を見た。自ら5,300エーカーの土地を取得、既に開場していた第2のデルモンテゴルフコースとして当時のトップアマ、J.ネビール・D.グランドに設計を委嘱、1919年6,020Y P73のコースとして完成させた。
その後1926年にサイプレスポイントの設計で来米中のA.MACKENZIEが8・13番を、1929年には全米アマ開催を控えて C.EGANなど幾多の改造がなされた。昨年の全米オープンでは懸案だった5番ホールがJ.ニクラスの手により完成、右サイドに断崖絶壁が迫る美しきパー3ホールになった。

‘80年代後半には一時日本資本のものとなったが、カーメル市長を勤めたクリント・イーストウッドやアーノルド・パーマーが中心となって財団を結成、アメリカの偉光をかけて日本資本から取り戻して、2000年には全米オープン第100回記念大会が開催された。

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